オランダの版画家エッシャーは不可思議な版画を数多く残している。それ等は「だまし絵」と称され、今日なお我々を不思議な世界へと誘い魅了する。
エッシャーの「滝」は建物の高い所から流れ落ち、その流れは流れ流れて、いつの間にか元の(高い)位置に到達する。その流れをたどっていた視線は元の位置にたどりついたとたんに狼狽え困惑する・・・水は下から上には流れないのに・・・! もう一度、滝からの水の流れをたどるのだが、それぞれの事象の隣同士では物事の矛盾は見当たらない・・しかし!・・・この困惑がエッシャーの版画の魅力となって、人々の心を捉える。 アナログな人間の感覚は「自分」=「感覚の基準点」から始まり、連続的に長さや物質量を知覚し認識してゆく。現在の自分の立っている位置の前後における経過は、矛盾の無い(むしろその時の自分にとっては)必然とさえ思えるものである。 これが一度<建築物>=「構造組織体」と言う認識を与えられた瞬間に、「物事の道理」と「自分自身の認識」との矛盾に狼狽することになる。エッシャーの版画「滝」では、視覚的に容易に<建築物>を認識できるので、水の流れをたどる<アナログ感覚>と建造物と言う<構造体>との間の矛盾に気付き、困惑の世界に放り込まれる。 しかしアナログ人間ばかりの集団となるとそうはいかない。集団という組織構造の中に居ながら、(全員が、各自それぞれ)自分なりの「基準点」を「認識」の起点として判断し、発言し、行動するのみであって、「構造組織体」への認識は皆無なのである。従って困惑もしなければ狼狽もしない・・・自信満々なのである。 <エッシャー「滝」>
by keizo-ohata
| 2007-04-16 03:27
| 社会全般
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