歴史の傍らで生涯を全うした人物を、歴史小説のかたちで現代に蘇らせることは、「歴史に学ぶ」意味において大いに有意義なことでありましょう。
今年のNHK大河ドラマは『篤姫』。先週のドラマでは、島津斉彬から将軍家正室となることと、その意味を伝えられた篤姫が、「自らの意志で、将軍家へ嫁いでまいりたい」と決意を語ります。その決意の程に感銘を受けた教育係の幾島も、篤姫とともに江戸城に赴く決心を固めます。 ペリーの黒船来航に揺さぶられる鎖国「日本」。この国家の危機において、篤姫の働きなくしては江戸城の無血開城はなかったでありましょうし、明治維新も実現しなかったでありましょう。あのまま幕府と官軍が戦えば、日本は他のアジアの国々がたどった歴史と同じく、分轄統治された列強の植民地となっていたことでしょう。まことに篤姫こそが近代日本の産みの母とも言えるのではないでしょうか。 ドラマの中で斉彬が言います「おなごでなければ出来ぬ事、おなごであるからこそ出来る事がある」・・・・これが、このドラマ(小説)のテーマであろうと思われます。 国家的危機にたいし将軍家正室となることを決意した篤姫、その決意を目の当たりにして同行を決意する幾島。この時代の女性には、重大かつ大きな困難に対し、我が身を犠牲にする覚悟がありました。篤姫の乳母もそうでした。島津家の養女になることが決まると、あえて自害することで(不届き者として)社会の表舞台から抹殺される道を選びます。島津家のお姫様が身分の卑しい乳母に育てられたと(陰口を)言われてはならないと判断したからです・・・凄まじいばかりの覚悟です。いえ、「覚悟」では十分に言い表せた事にはなりません。「凄まじいばかりの愛」と言えばいいでしょうか。 これらの「愛」はいったいどこから来るのでしょう。それ等は全て「自分が育てられた体験」より学習されたものなのです。当時日本に来た宣教師が母国に書き送った報告書には、世界にまれなる平和な国「日本」の様子が綴られています。「世界にこれほど子供を大切にする国民を他に知らない」とも報告されています。アインシュタインが来日の感想をこう述べています「日本と言う平和的国民にしか、世界を救うことはできないのではないか」。 これら全ての根底には日本の母が「我が子を慈しみ育てた」事実が横たわっています。人間は「学習する動物」です。「愛」に育まれた心は、「愛」を起点として全てを判断します。 「育児」・・・この大切さを、今一度振り返ろうではありませんか。 現代日本の育児環境を、あなたはどう思われますか? #
by keizo-ohata
| 2008-03-11 12:37
| 社会全般
年末と言うことだろうか、寄付の案内が郵便で届き始めている。「国境なき医師団」「ユニセフ」これまでも何等かの寄付への協力は続けてきたのだが、今年還暦を迎えて、全ての面でこれまでのことを一度ゴワサンにして「これからの事をゼロから考え直してみたい」と思い、二年ほど前から色々な事を整理し始めていた。
「教育が全ての基本」と考えて、寄付や支援活動はその考えにそって行ってきたのだが、その間に続けた研究の結果、とどのつまりたどり着いたのは「育児」だった。人生後半の時間の一部は「育児」に関わる社会奉仕活動に時間をさこうと思っている。 平成元年以来、<ト音記号の会>を結成して「フォスター・プラン」に協賛した演奏会を開催、純益金でインドやアジアの子供たちの(教育)支援を行ってきた。数人の子供の支援を行ってきたが、一番長期に及んだのはインドネシアのランボギちゃんでした。お母さんにダッコされたランボギちゃんが、スラリとした奇麗な娘さんに育ち、住む家も<茅葺き>から立派な家に替わり、室内のきれいなカーテンを確認したとき、大きな満足感をもって支援の打ち切りを決断いたしました。(今はどうしているだろう) <お母さんにダッコされたランボギちゃん。奇麗な娘に成長。きれいなカーテンの部屋に> ![]() #
by keizo-ohata
| 2007-12-05 19:20
| 育児・教育
先日、ピアノ・トリオの演奏会に出かけた。手練の3人の男性で結成されたグループ。かなり有名らしい・・・。経歴を見ても大変立派なもので、若手のバリバリ、韋駄天の三人衆が競演するエキサイティングなコンサートだった。
とにかく先ずテクニックが凄いのだ。音の洪水で聴衆を蹴倒して飲み込んでしまうのが、彼らの基本方針。これほどスゴければ、先ず文句を言う人は誰もいない。聴衆はただ観客席に座り込んで、この音の洪水を全身に浴びるのみ・・・(少々はげしすぎるかも知れないけど)これほど浴びていると、心の隙間までがすっかり洗い流されそうな気がして、何だか生理的な爽快感を覚えたりもした。 彼らの旺盛なサービス精神は、音だけに留まらない。身体的パフォーマンスをも交えて観客にアピールする。怒濤のごとく弾き鳴らした結末には、最後の和音を弾くと同時に両の腕を振り上げ客席に向けて立ち上がる!・・・(何もソコまでしなくとも......)プログラム後半で、曲が盛り上がれば盛り上がるほどに、そのパフォーマンスは大きくなる・・(その最後の<決めポーズ>が、水族館のオットセイが拍手を誘う<決めポーズ>に見えて、何とも困ってしまった)。 クラシックはいつからパフォーマンスになってしまったのだろう?クラシックに関連して新しい動きが始まったのは、ジャズでバッハを演奏した「プレイ・バッハ」が始まりだったのではないだろうか?実にイカしたバッハで、一世を風靡したと思う。しかしその後の流れを見る限り、それはクラシックに題材を借りたポピュラー音楽であり、クラシック音楽を分かりやすく伝えようとする試みとは決して言えなかったと思う。それ等はさらにパフォーマンスで観客を惹き付けようとする方向へと肥大化していく......。 地球温暖化が(誰の意識にも)尋常でない事態と認識されはじめた昨今、発展の名のもとに新しそうなものだけを追い求める風潮は早晩見直されてゆくでしょう。音楽においても、ここいらでもう一度<魂>と言うものを見つめ直してみてはいかがだろうか? #
by keizo-ohata
| 2007-11-26 22:08
| 芸術・文化
9月14日にクラシック音楽のアウトリーチ・プログラム研究会を立ち上げて、その第1回目の会合がjmc音楽研究所で開催されました。参加者は6名。ゆっくりと仲間を増やしてゆく予定です。
98年にトヨタ・アートマネジメント講座を開催して以来、「音楽との新しい出会い」をテーマに<音楽普及プログラム>の研究開発と実践を続けてまいりました。公共ホールの主催事業や県民文化祭や学校における芸術体験プログラムとして開催される等、一定の成果をあげています。 これらの経験をもとに、今回「アウトリーチ・プログラム研究会」を立ち上げた目的の一つは、研究→実践のプロセスを通して演奏家自身の企画力・実践能力を涵養することにあります。これからの演奏家は「ただ演奏するだけの能力」で終わるのではなく、社会を見て「何が出来るのか」「何を行うべきか」を考え、判断し、行動できる人材が育つべきだと思うからです。2回目の会合は10月27日、jmcにて。 27日には新たな動きもスタートさせます。しかし、急ぐのではなく無理せずにゆっくりと広げてゆくつもりです・・「音楽家と音楽愛好家の出会いの場」の創造。 ザルツブルグの教会のミサ、地の底から揺さぶられるようなパイプ・オルガンの響き。教会の大きな石の柱の横に<おしゃぶり>をくわえて乳母車に座った赤ちゃんを見つけたことがありました。目と耳を開いてパイプ・オルガンの響きに包まれているその赤子を見たとき(この子は毎週、このオルガンの響きに包まれながら成長する・・・)「音楽が分かるようになる訳だ!」と思いました。しかし、日本にはこれらの環境はありません。 「結局は、人と人の出会いからしか物事は始まらない」・・これまで生きてきて思うことです。コンサート・ホールに出かけても、2000人近い入場者に知人はほとんど居ません。音楽を愛するこの人たちの中には、一生涯の友人になれる可能性を持つ人が数%はいるはずだろう・・・と、いつも思っていました。 久しぶりに会った友人同士が嬉しそうに会話を交わしているウィーンのムジーク・フェラインや国立オペラの休憩時間の光景が目に焼き付いているからかも知れません。音楽が心を豊にし、さらに人と人の心の交流の機会をも作り出している・・うらやましいほどの光景がそこには見られました。 音楽家と音楽愛好家が自然に友達になれる『倶楽部』のようなもの。安い会費で簡単な食べ物と飲み物を手に入れて、チョット音楽有り、誰かの話アリ、あらかじめ出されたテーマについて話し合う時間あり、時には皆で声を合わせて歌う企画も、また時にはミニ・コンサートを開催。飲んで・食べて・だべって・音楽する・・・、そんなホッ...と安心できるような場が醸成できないか・・・。 そんなコトを想っています。jmc音楽サロンは過去88回開催、そのホストを務めてきました。その経験も生かせるのではないか・・そう思っているところです。しかし、決して急がす、あわてず、無理せず・・・でゆきましょう。 <第1回アウトリーチ研究会(仮称)> ![]() #
by keizo-ohata
| 2007-10-22 03:14
| クラシック音楽
読売日本交響楽団は創立15周年の1977年10月にセルジュ・チェリビダッケを招聘いたしました。チェリビダッケの提示した条件は2つ、1年後に再度招聘することと音楽関係者への講習会を開催すること・・・こうして77年10月,78年3月の公演と2回の講習会が実現いたしました。
幻の指揮者とよばれ、すでにNHKのFM放送ではシュトゥットガルト放送交響楽団における驚異的な演奏で知られている巨匠でした。私はこの2度の講習会を受講し、その後ウィーン留学期間中も6月の約3週間はミュンヘンに滞在、ミュンヘン・フィルハーモニーにおける指揮講習会に2度にわたって参加いたしました。音楽に対するアプローチと理論の根幹はチェリビダッケに学んだと思っています。 その後、jmc音楽教室の楽典のカリキュラムを編成するにあたり、チェリビダッケの投げかけた一言をキーワードに思索を重ねて、音楽の世界を<楽典>と言う切り口から解明し説明することが出来たと少なからず自負しています。 77年の日本における講習会のある日、チェリビダッケはホワイトボードに四声体の和声進行を書き「この音は少し高く。この音はやや低く・・」と説明した後に、こう締めくくりました「5度のことを説明しようとすると、本が一冊書ける。しかし、(書く)時間がない。」・・・この「5度」が永く私の頭の中に留まることになりました。そしてカリキュラム編成にとりかかる1982年、この「5度」のキーワードを手がかりに思索・分析を重ね、4年後に聴音・楽典のカリキュラムが完成いたしました。 例えば、楽典の本では「下属音」の名称について(音階上で)「属音」の下にあるから・・と言う誤りが未だに見受けられます。「倍音」と「5度」「12音」「調」「調号」「和声進行」「カデンツ」「転調」「近親調」「和声外音」と展開する<初級>から<中級>のカリキュラムはe-Book楽典の最も中核を形成する部分です。楽典を音楽の記号や規則の説明書として扱うのではなく、音楽の世界への理解をひも解き、そのプロセスの中に<楽典>の知識を取り込んでゆく・・・そのような趣旨で編纂されたものです。 深い感謝と尊敬の念をこめて、恩師セルジュ・チェリビダッケに捧げます。 2007年10月1日 大畑惠三 #
by keizo-ohata
| 2007-10-10 14:15
| クラシック音楽
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