モーツアルトの第39番のシンフォニーの第3楽章を指揮した時です。チェリビダッケは私が振り終わっても、グランド・ピアノに手をかけ椅子に座ったままで、10秒ほど何も言わず下から私を睨みつけていました。
何も言わず椅子を立ったチェリビダッケは、私の左まで歩んで来て、私の左肩に彼の右手を乗せながら、楽員に向ってこう言いました。「私が日本語を喋れないばっかりに、この青年を助けることが出来ないのだ・・・」。申し訳なさと残念さをにじませながら語ってくれたこれ等の言葉と、彼の右手の平の優しさが心に沁みています。 海賊版のレコードのプロコフィエフ「古典交響曲」を初めて聴いた時から、読響での講習会、そしてミュンヘン・フィルでの講習会で、こうしてチェリビダッケの音楽と教えに接し、直接に言葉をかけて頂けたことは、人生の巡り合わせの不思議を思わずには居られません。私の人生の宝物の一つです。 この後、彼の一番弟子が呼ばれて、私へのベートベンの第2交響曲の2楽章の指導が命じられました。講習終了後、彼による特別レッスンを受けました。借りていた部屋に戻って勉強を続け、翌日の講習に向いました。 講習が始まる時、チェリビダッケが「この楽章(2楽章)のテンポ(設定)が、私自身一番迷っている」と語り、ある生徒に先ず指揮させました。(私は「アッ、このテンポいいじゃない」と感じました)。いつものように終わったあとに受講生に向って「テンポはどうか?」と言って私の方を見ましたが、何も言わない私を怪訝そうな顔で見ました。・・・どうもこの「正直」は「空気を読んでいない」ことであって、何でもいいから指揮すればよかったのでしょう。嬉しいような、チョットほろ苦いようなチェリビダッケとの想い出です。彼と接することが出来たこれ等の体験に、私は十二分に満足しています。
by keizo-ohata
| 2007-04-02 01:12
| クラシック音楽
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