先日、夜中にコンビニに立ち寄った。書籍売場の前を通った時「プロの勉強法」と言うタイトルが目に飛び込んできた。「プロ」と言う言葉に思わず立ち止まったのだが<トップ経営者が伝授する!>とあり、どうやらビジネス書らしい。
手に取って開いてみると「経営トップの勉強法講座」<結果を出す思考と行動>[必須5教科9科目]・・・とある。現在の日本産業界をリードする経営者28名が登場し、トップの座右の書を示しながら、経営者たちの学び方や、判断のより所が紹介されている。 2〜3を拾い読みすると、それぞれが「なるほど!」「その通り!」と、共感するものばかり。手に入れて読んでみることにいたしました。 25年前、音楽界にマネジメントの概念を導入する必要性を強く感じ、自力で勉強を始めてjmc音楽研究所を法人登記するまでの7年間は、様々な分野にわたって勉強したものでした。その後、マネジメントの分野での特段の勉強はやらなかったことに、今回のことで気付かされました。 今年は大きな節目の変化の年と認識しています。マネジメントに関しても、これ等の本を参考にしてもう一度全体を振り返るのも意味があるのではないか・・と思いました。簡潔で非常に良い本だと思います。本文に紹介されている本を手に入れて読んでみたいと考えています。 #
by keizo-ohata
| 2007-04-05 01:30
| 社会全般
セルジュ・チェリビダッケの想い出は14回で一先ず終了して、桐朋学園での恩師<斎藤秀雄>先生に関連して、ブログに記してみたいと思います。
現在「トーサイ・ネット」の開設に向けて鋭意準備中ですが、この活動は斎藤秀雄の音楽教育者としての理念の継承を謳ったものです。世界的演奏家の育成を柱に<Thosai-net朋の会>を通じて新しい音楽コミュニティーを育成し、クラシック音楽を支援・普及させるを目的としています。詳しくは「トーサイ・ネット」のHP(ブログ)をご覧下さい。 ちなみに「トーサイ」とは、斎藤先生のニックネーム。斎藤を逆さまにして「トーサイ」「トーサイ」と呼んでいました。怖い先生でしたが、今「トーサイ」と呼んでみるだけで、何だか懐かしささえ覚えます。 #
by keizo-ohata
| 2007-04-04 02:35
| クラシック音楽
モーツアルトの第39番のシンフォニーの第3楽章を指揮した時です。チェリビダッケは私が振り終わっても、グランド・ピアノに手をかけ椅子に座ったままで、10秒ほど何も言わず下から私を睨みつけていました。
何も言わず椅子を立ったチェリビダッケは、私の左まで歩んで来て、私の左肩に彼の右手を乗せながら、楽員に向ってこう言いました。「私が日本語を喋れないばっかりに、この青年を助けることが出来ないのだ・・・」。申し訳なさと残念さをにじませながら語ってくれたこれ等の言葉と、彼の右手の平の優しさが心に沁みています。 海賊版のレコードのプロコフィエフ「古典交響曲」を初めて聴いた時から、読響での講習会、そしてミュンヘン・フィルでの講習会で、こうしてチェリビダッケの音楽と教えに接し、直接に言葉をかけて頂けたことは、人生の巡り合わせの不思議を思わずには居られません。私の人生の宝物の一つです。 この後、彼の一番弟子が呼ばれて、私へのベートベンの第2交響曲の2楽章の指導が命じられました。講習終了後、彼による特別レッスンを受けました。借りていた部屋に戻って勉強を続け、翌日の講習に向いました。 講習が始まる時、チェリビダッケが「この楽章(2楽章)のテンポ(設定)が、私自身一番迷っている」と語り、ある生徒に先ず指揮させました。(私は「アッ、このテンポいいじゃない」と感じました)。いつものように終わったあとに受講生に向って「テンポはどうか?」と言って私の方を見ましたが、何も言わない私を怪訝そうな顔で見ました。・・・どうもこの「正直」は「空気を読んでいない」ことであって、何でもいいから指揮すればよかったのでしょう。嬉しいような、チョットほろ苦いようなチェリビダッケとの想い出です。彼と接することが出来たこれ等の体験に、私は十二分に満足しています。 #
by keizo-ohata
| 2007-04-02 01:12
| クラシック音楽
恐ろしいほどの「耳」の良さ、驚愕の記憶力、研ぎ澄まされた感性と音楽性についてはチェリビダッケの右に出る人は居ないと思います。
しかし、運動のテクニックとしての「指揮法」に関する分析とメソードへの再構築に関しては斎藤秀雄に一日の長があると思います。斎藤先生は数多くの海外の指揮者の指揮振りを観察し、分析し、理論化してメソードとして再構築しました。 ウィーンのスゥィートナーのクラスでは「昔、クレメンスクラウスがこうしてた・・」とか「クライバーはこう振っていた」とか、「リヒャルト・シュチラウスが・・」などと永い伝統にキラ星のごとく輝いている巨匠から引き継がれたものが語られます。それ自体はゾクゾクするほど魅力的な話なのですが、いざ図形を黒板に描いて説明しようとなると、途中で手が止まって考え込んでしまうような所もあったりします。 チェリビダッケはあの鋭い頭で考え込んで指揮法の理論を組み立てました。1:1,1:2・・と理論化された指揮法を、実際に手を動かして練習します。1年目の時「アレ?理論と運動との間に矛盾がありはしないか?」と感じたので、休憩時間に3拍子の理論と運動について図形を書いて質問しました。一瞬で矛盾に気付いたチェリビダッケから「エエイッ!そんなものはダメダ!」と一蹴されました。しかし2年目に行った時には、それをきちんと修正していました。ほんのささいな事ではありますが、天下のセルジュ・チェリビダッケを一瞬でも追い詰めたのは、内心チョット「ニンマリ」です。 しかしこれも、斎藤先生の下で指揮法を十分に教えていただいたお蔭以外の何物でもありません。 #
by keizo-ohata
| 2007-03-27 19:49
| クラシック音楽
チェリビダッケの指揮講習会はミュンヘン・フィルハーモニーを指揮しながら行われます。講習生にとっては贅沢の極みでしょう。コンサートのリハーサルがある場合は、午前中はその見学、リハーサル後に講義が行われますが、我々日本人にとって哲学的な内容の多い彼の講義は、理解するのが容易ではありません。感覚の全てを開いて、彼の伝えようとする事を掴もうと頭をフルに働かせます。苦労しながらノートに沢山講義録を残しました。これも今では宝物の一つ。
それに比べるとオーケストラの指揮の実技ははるかに容易です。最初に指揮をした人が演奏し終えると「テンポはどうか?」と受講生にといかけます。「少し早い」又は「少し遅い」と手をあげますと「やってみろ」・・・代わって指揮をします。その後にチェリビダッケが「講義」または「実技」で示してくれます。 講習での失敗談を一つ。ある時、ベートーベンの英雄の1楽章を指揮することになりました。この1楽章の曲頭は3つ振りで指揮するには慌ただしく、1つ振りで指揮するにはテンポ設定がテクニック上非常に難しい曲です。その時、私は難しい1つ振りを採用いたしました。ところが1小節目を振った直後の点後のスピードが僅かに早過ぎたのを「シマッタ!」と内心思いましたが、一度設定したテンポを次に変えるわけにも行かないと考え、そのテンポで演奏を続けました。 チェリビダッケは明らかに怒りを表しながら「先へ行け、先に行け!」と言いつつ、どうやら自分の首を両手で締めながら、この音楽が自分で自分の首を締めている状態であることを仕草で示していたようでした。5分ほどたった頃、私の顔に2センチまでに詰め寄って怒鳴りだしました・・・「ンなんダァ〜〜ーーッ!コレぅアァーーーッ!!!」 「随分と顔の大きな人だなァ」その時、思いました。そして昔、読響の練習場で聞いたアノ怒鳴り声を、文字どうり(肌が触れる程)身近に感じたのです。今でもその時の彼の存在が放つ「気」を、私のホッペタは覚えています。そして不思議なことに、怒鳴られてもチットモ怖くないのです。彼の人間の器の大きさがそうさせるのでしょう。テンポ設定の基準になる所までちゃんと演奏させて、そこで怒鳴って教えてくれたのです。 このような器の大きな人物に接することができたのは、人生の最大の宝です。斎藤秀雄、セルジュ・チェリビダッケ、いずれも<怖い>ので有名な二人ですが、その本質に触れた人間にとっては、あまりにも魅力的な、仰ぎ見ることが出来る人生の師と申せましょう。 #
by keizo-ohata
| 2007-03-25 01:57
| クラシック音楽
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